BLOG

カレンダー

残り1枚になった今年のを見て
来年はどんなのを飾ろうかと考える。
使うものだけれど、飾るものでもあり
毎日、そして1年間見るものだから
やっぱり美しいものがいいな。

この季節、いたるところでカレンダーを頂く。
お客さんから、おつきあいのある会社から
買い物をした先で、ガス屋さんから…。
家の中にカレンダーを掛けるところは限られているし
だいいち、そんなにいらないし
カレンダー飽和状態になる。
これは僕の家だけじゃないだろうと思う。

皆さん、このもらったカレンダー…
使っていますか?
申し訳ないけれど、すごく率直に言うと
飾りたくないものが多い。多すぎる。
年末に必要なものを掛けたあと
残りのカレンダーを処分する時の罪悪感みたいなもの。
たとえ、リサイクルごみに出すにしろ
作られた瞬間から、いらないものたち。

毎年、作っているから。
何もないよりは何か配った方がいいから。
お客さんのところに顔を出す口実になるから。
そんな慣習的で惰性的な理由によって生まれる
力のないものたち。
配っている本人もいいもの、とは思っていなくて
配られた方もいらなくて
ごみとなるもの。

それは、クライアントのお金を浪費させてるし
資源や時間の無駄だし
最終的にもらう人の喜びにもならないし
ごみを増やすし、エネルギーを消費するし
でも、経済としては仕事としては
お金は回ってる。
こういうの嫌だな。

作る以上は、飾れるもの作ろう。
少なくとも、自分が飾りたい!って思えるもの。
これ、いらないよね。
自分では使わないなぁ。
でも仕事だからね。って悲しい。
そんなカレンダーは
いやなんだー、むだなんだー、作りたくないんだー。

飽和状態の中
質の悪いカレンダーを配っても
喜んでもらえないよ。
そのお金や、資源や、時間やパワーを使って
素敵なもの作りませんか?
なにか他のことしませんか?

2014.12.8
Diary


雪かき

朝、カーテンを開けて歓声をあげる子どもたち。
それとは裏腹に気を重く外を眺める僕。
ついに雪かきの季節がやってきた。

雪かきは重労働。
とはいえ、やっぱり昨日までアスファルトのグレー一面だった地面が
どこもかしこも真っ白になっている光景は、心ときめく。
雪国に生まれてよかったな、と思う一瞬。

雪かきをしていると、ふと人生について考えたりする。
雪かきは結構、奥が深い。
降り積もった雪で色彩があやふやになり、音もくぐもった世界。
無心に雪かきをするうち、思索はめぐる。

北海道でよく言われていることに(僕の周りだけかもしれないけれど)
“おじいちゃんの雪かきは美しい”
ということがある。
本当におじいちゃんの雪かきは美しい。

若い頃は腕力でスピードでガシガシと雪かきをする。
多くの雪を一度に運んで、ガバッと投げる。
ズシズシとゆきを踏みしめて歩く。
片やおじいちゃんはしずしずと雪を運ぶ。
足音はほとんどしない。
若い人の方がスピードがあるが、ある量以上あると
不思議とおじいちゃの方が早かったりもする。
登山に似ているのかもしれない。

美しい雪かきをするおじいちゃんの道具はたいてい「雪はね」と呼ばれるもの。
柄の長いスコップの形状。柄の部分が木で、刃の部分が赤いプラスチック。
これと小柄なおじいちゃんの組合わせはもう最強。
ちなみにこの道具、無理をするとすぐに壊れちゃう。
若い人がガシガシ使うとすぐに刃の部分が割れちゃう。
でも、おじいちゃんの雪はねの扱いは、その所作も美しい。
きっと剣の達人の動きはこんな感じなんだろうな、と思うくらい無駄が無い。
そう、無駄が無い。力の使い方に。
まさに柔よく剛を制す、の世界。

美しいなぁと思いつつ、大量の雪を目の前にすると
ついガシガシと雪かきしてしまう僕。
まだまだ修行が足りない。
雪かきは、デザインにも人生にも似ている。

こらからの北海道は
真っ白い雪と、美しい雪かきをするおじいちゃんで満たされる
美しい季節。

2014.12.7
Diary